工房閑話
集団的無責任
安保関連法案成立前、「集団的自衛権」がメディアを賑わしていた頃、「集団的無責任」と云う言葉に出会った。例の新国立競技場建設計画の白紙撤回の時だったろうか。まさに言い得て妙である。
建設費が当初予算を大きく上回ることが発覚した段階でも、ある有力有識者が「金に糸目をつけず、世界に恥ずかしくないものを作らなければならない!」と云う趣旨の発言している。世界一の借金大国の方が、はるかに恥ずかしいと思うのだが・・・。 そもそも白紙撤回と云う結論に至る経緯そのものも一般庶民には分かりにくく、多分に政治的な臭いもする。また、ここに至った事に対して責任と云えるものは、誰も取っていない。
エンブレム問題も然り。良く見ると同様の現象は決して珍しくない。何と言ってもその最たる例は福島原発だろう。あれだけの過酷な事故を起こしながら、未だに誰も責任を取っていない。天災なら、まだ気持ちの整理のつけようもあるだろうが、被災者の心情を思うと語るべき言葉が見つからない。
近年、日本ブランドの実力は徐々に評価されつつあるが、この伝統とは訣別しなければならない。権限と責任は一体であるべきである。これがグローバルスタンダードで、 Eビザマネージャーの審査に於いては、必須の要件でもあるのだが・・・。