< 工房閑話 サイパン帰行 >
6.サイパン島観光
数十年振りのサイパンで気がついたのは、諸事アメリカ仕様であることだ。特に街並みはワンブロックが大きく、歩いてみると思ったより遠い。道路もその他の空間も広く、日本人にとってはそれ自体が非日常で、興味深い。サイパン人の気質とも合っているようだ。
F氏ともどもB氏の四駆で島内を一周させてもらった。Eビザを申請したものの不許可となったB氏の再申請を引受け、幸いにして許可されたのであるが、それがご縁でB氏の知人であるF氏のEビザのお手伝いもすることになった。
サイパンの観光スポットは先の大戦と関わりのあるものが多いが、サイパン陥落を機にB29による日本本土への空襲が始まったという、忘れがたい場所である。
97式戦車
空港の裏側に日本軍の遺構とともに、往時を偲ばせる戦車、大砲等が野ざらしで残されている。なるほど、この辺りに踏み込むのに、四駆は至極具合がいい。97式中戦車は、当時の日本軍の主力戦車の一つであったらしいが、この南の島で戦車の中の温度は何度まで上がるのだろうか。それでなくとも戦車は地上の乗り物のなかでは最も乗り心地が良くない。敵と交戦する前に充分消耗したことだろうが、戦争に於いては序の口に過ぎない。
司令部跡
島の南に上陸した米軍に北に追われ、数万の民間人が自決した島の北端のバンザイ岬の近く、スイサイドクリフの下に日本軍の最後の司令部跡がある。砲弾により鉄筋が剥き出しになり、半世紀以上が経っているのだが、いまだにその鉄筋とコンクリートが、しっかりとくっついている。歴史が語るとおり、戦争は往々にして経済原則を超えて機能を追及することがある。その深刻さを考えると、他にも目先の生産性に捉われない安全が必要なものがあるだろうと、つい原発に思いが跳んでしまう。
タポチョ山
日本軍の組織的な抵抗が終わった後も、大場大尉率いる40数名が、ここを拠点に圧倒的な兵力を誇る米軍を大いに悩ませ、畏敬の念も込めてフォックスという暗号名で呼ばれたそうだが、2011年に封切られた竹野内豊主演「フォックスと呼ばれた男」でご存知の方も多いだろう。島のほぼ中央に位置する500m足らずの山であるが、山頂からは全島を俯瞰できる。次第に風化しつつあるが、ここに立つと彼我を問わず大勢の人が命を落とし、その犠牲の上に日本は半世紀を超えて平和を享受してきたことを思わずにはいられない。我々のすぐそばで、中国の若者が記念撮影に興じていた。