工房閑話
噺家の高座とビザ面接
歌舞伎の世界では何代にも渡って、名人が続いてきました。歌舞伎の名門に生まれると、物心つく頃から英才教育が施され、舞台でも介添えを受けながら時間をかけてじっくりと育てられていきます。次第に力をつけ、やがてファンの心を捉えて離さない名人に育っていくのです。一方噺家はというと、名人の子弟と云えども高座は一人で努めることになり、そこでは誰の助けもありません。まさに本人の実力で勝負する世界で、三代続く名人はいないと云われる所以です。
アメリカビザの面接も、申請者は一人で領事と対峙しなければなりません。その場では誰の助けも期待できません。第三者に書類を準備してもらったとしても、内容をきちんと自身のものとしておかなければなりません。2004年の面接導入以降、面接時の不手際により不許可になるケースは、不許可全体に一定の割合を占めてきていると思われますが、面接への備えはビザ取得のための重要事項です。ある駐在員がEビザ面接時の領事の「アメリカでのあなたの職務は?」という質問に、「向こうに行ってから聞きます。」と答えて許可されなかったと云う有名な話がありますが、対照的に、不許可を告げられて、Eビザの資格があることを論理的に反論し、裁定を引っくり返したケースもあります。
面接には、準備万端を整えて噺家の心境で臨むのが正しい姿勢と云えます。万全の準備で臨んだところ、質問らしい質問もなく許可されてしまったと云うケースも少なくありませんが、素直に喜ぶべきでしょう。