工房閑話

 

 

 

戦後80年の節目に

 

 先ごろフィリピンで、日本人二人が銃撃を受け死亡すると云う事件が発生し、マスコミを賑わしたが、あっという間に忘れ去られている。より刺激的な出来事が目白押しの今日、不思議はないのだが。

 

 社会人駆け出しの頃、営業を担当した旅行の添乗業務でフィリピンには二度訪れたことがある。一度目はヤマハの主催によるエレクトーンコンクールの視聴。アジア各国から小・中学校くらいの子女が、提示されたモチーフを基に曲を作り、即興で演奏し、その出来栄えを競うのだが、曲の完成度と洗練された演奏技術に圧倒された。また、チェリスト・指揮者として高名なロストロポービッチが、子供たちにアドバイスを与えるという贅沢なしつらえを間近に体感することができた。

 

 二度目は世界医師会大会。会場に現れたイメルダ大統領夫人が、数人の侍女を従えて颯爽と歩む姿は参加者の注目を独り占めにしていた。その存在感に感じ入っていたところ、日本医師会の或る理事の「君、イメルダ夫人とダンスのアポイントを取り付けてくれ」という突拍子もない要望に驚愕させられた。

 

 エレクトーンコンクールの会場は所謂「Gated Community」の中にあり、許可なくして部外者はこの地域に入れない。医師会大会の会場であるプラザホテルはマニラ湾を望む高級ホテルで、この華やかな場所にも戦争の足跡は残っていない。唯一、日本人医師達からある種感慨を持って「マニラ湾の夕日」という呟きが洩れていたのを思い出す。戦後世代の私には、今一つ実感の湧かない言葉だった。

 

 戦後80年に当たる今年の夏、メディアもこの話題で賑わった。まず、原爆投下、沖縄地上戦、満州の悲劇、本土空襲、過酷な戦場、シベリア抑留等に象徴される、日本人に降りかかった戦争の悲劇。そしてもう一つは、ミッドウェー海戦、インパール作戦等に代表される無謀な戦略についての批判と反省。いずれも、世代交代が進むなか、戦争の記憶は着実に消滅している。

 

 一方、旧日本軍のアジアへの侵略に関する歴史は既に忘れ去られている。学校教育に於いてもほとんど触れられることはなく、80年の節目の年に於いても、

不思議なほど、この事についての報道は皆無に近い。この戦争による日本人の死者は300万人余と云われているが、フィリピンに於いては、日本が起こした戦争によって実に100万人余が亡くなっている。先に述べた「マニラ湾の夕日」は、恐らく名だたる景観に、遠く離れた日本に思いを馳せる軍人・軍属の心情を顕しているに違いない。被征服者であるフィリピン人の心情を思うと、これはもはやブラックジョークと云える。

 

 このままでは、ロシア、イスラエルを非難することはできない。日本の歴史の負の側面を謙虚に認識することで、唯一の原爆被爆国としての世界への発信も説得力を増すに違いない。平和の希求、不戦への誓いもより強固になるだろう。これこそが、80年前の戦争の死者への供養と、次の世代への遺産ではないだろうか。



           kyoto2


 

 

                            2025年8月31日

 

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