工房閑話
自動車追加関税
1988年、トヨタの米国工場第一号がケンタッキー州ジョージタウンに開設された。これに先立ち、ホンダは1982年にオハイオイ工場を稼働させている。当時、自動車の町デトロイトで発生した日本車破壊事件という出来事に象徴されるように、日米の貿易摩擦が深刻な社会問題となっていた。
未だその頃はアメリカ車ならではの魅力があり、相応の支持を得ていたと言う肌感覚を覚えている。筆者自身、オールズモビルに乗っていたが、頑丈な車体には日本車には無い安心感があった。発進させると、その車体の重さをものともせず、身体が背もたれに力強く押しつけられるのを感じながら加速し、あっという間に巡航速度に達する感覚は新鮮で、ガソリンメーターに目を凝らすと、どんどん下降していると錯覚するほどだった。さらに、そのころのアメリカ車の特性として、とにかく故障が多く、あらゆるパーツに問題が発生し、最後に残ったのがカーラジオだったと言う笑い話がある。そのラジオは日本製なのだが。
トヨタのケンタッキー工場の開設式典に訪れた豊田市の視察団のバスの後ろに連なって、我々も潜り込むことができた。530万平方メートルの広大な敷地の工場内には、大勢の日本人技術者が派遣されていたのが記憶に残っている。彼等のために、短期熟練技術者用の簡便なEビザが発給されたそうだ。今日、所謂「EビザTDY」として知られている。トヨタ方式導入には相当数の技術者投入が不可避であったのだろう。
式典には、駐米大使、州知事等あまた要人が出席していたが、トヨタ誘致の立役者コリンズ前ケンタッキー州知事もそこに名を連ねていた。コリンズ女史の信念と行動力が、名乗りを挙げた他の28州を抑えて誘致競争を勝ち抜き、人口2万人の町に3千人の雇用をもたらした。しかし、トヨタに対する便宜供与が過剰と批判され、開所式時には知事の座を失っていた。工場誘致にはそれほどの準備と覚悟がいるのだろう。出たとこ勝負の思い付きには馴染まない。
トヨタの工場開設以降もアメリカ車の競争力は、回復するどころか着実に落ちている。今やアメリカ車はエンジンを始め主要部品を輸入に頼っている。果して25パーセントの追加関税が「アメリカの製造業の復活」への特効薬になるのだろうか。
2025年3月31日