工房閑話
靖国神社
前回の大混雑の記憶を振り切って、何年かぶりに千鳥ヶ淵に出かけたが、幸い、ほどほどの人出の中、世界屈指の桜を愛でることができた。充足感に浸りながら帰路に就こうとしたときに、視界に入った靖国神社の、中央にそびえる銅像に興味を惹かれるままに、この有名すぎる神社の境内に、初めて足を踏み入れることになった。説明文には、不覚にもこの事を知らなかったが、なんと銅像の主は兵部大輔・大村益次郎と記されていた。
兵部大輔という役職は、現代に置き換えると、防衛大臣兼統合幕僚会議々長にも匹敵する。明治維新は革命であったとは言え、それを担ったのが武士階級であることを考えると、村医者あがりの不愛想な男が重用されたということは、大村が如何に傑出した人物であったかを物語っている。実際、彼なくして長州藩も維新政府も、幕府との戦いで勝利を収めることは難しかったに違いない。
大村の遺功を顕彰すべく、維新政府がこの銅像を建てたのは当を得ている。しかし、その後の神社の歴史を見ると、どうにも座りが悪い。近代日本軍の創始者とも言える大村の特徴は、徹底的した合理主義にあるが、第二次大戦の日本軍の戦略などは、それにはほど遠いものなってしまったことは、周知の事実である。一人の天才の出現で、日本人のDNAを変えることはできないということか・・・。ウクライナの「必勝しゃもじ」などには、泉下の大村もにがりきっているにちがいない。
2023年3月26日