工房閑話
「ノアの方舟」
モダンフォークソングの頂点に立ったピーター、ポール & マリーは、いくつか旧約聖書の物語を唄っている。そのエキゾチックな歌詞は、高度な音楽性と相まって日本のファンをも虜にした。ノアの方舟を取り上げた“Well Well Well”も我々のお気に入りのレパートリーだった。
神が、堕落した人間を洪水で一掃することにした時、神と共にあったノアとその家族を助けるために舟の建造を命じたというこの物語は、聖書に無縁な人々にも広く知られている。時代は、はるかに下り、20世紀末に起こったベルリンの壁の崩壊に、世界中が平和への黎明を見た。しかし時を経ず、パンドラの箱の蓋も開けてしまったことに気づくことになる。実際、世界は混沌としている。今や人類の堕落は旧約聖書の時代に勝るとも劣らないようにも映る。かくして、人類は神の思し召しを待つことなく、自ら大洪水を招来している。
ピーター、ポール & マリーはこう歌っている。
“God told Noah build him an ark.”
このようにbuildが目的語を二つ取るのを初めて見たが、このhimは学校英語の範囲を超えている。調べてみると極く稀だが、こういう使い方もあるようで、なるほど、このhimはNoahを指し、「Noahのための舟」を強調する効果がありそうだ。しかし何よりも、himが歌詞に絶妙なバランスをもたらしている。当時は音楽性に酔いしれ、私たちの中で、神の怒りは歴史の彼方に深く沈んでいた。
2022年11月25日