工房閑話

 

 

令和2年

 

 令和2年は新型コロナで開けた。一強体制を誇り国民を愚弄しているようにも見える自民党政権ではあるが、豊富な政権運営経験を生かして、せめて感染対策くらいは真っ当に実施してくれるだろうと思っていたが、その期待は見事に外れてしまった。危機管理対応能力も欠落していることに、ただただ驚くばかりである。

 

 その原因は、政治生命を賭けても感染を抑えるという覚悟が政権に無い事だろう。少なくともあるようには見えない。従って戦略も無い。敢えて挙げるなら、前首相の云う「世界に誇るクラスター対策」かも知れない。陽性者を焙り出すと医療体制が破綻すると云う、不思議な理屈で検査も最小限に抑えられて久しいが、その結果市中感染が拡がり、感染経路不明者が多数を占める事態を招き、この戦略は破綻している。にもかかわらず政府は未だにこの路線に固執し続けている。

 

 「想定外の事態に備えてプランB、プランCを準備しておく」、これは危機管理の一丁目一番地で世界の常識である。しかし我が国のコロナ対策にはプランBが無いため、楽観的な見込みに拠るプランAが躓くと、もう為す術がない。旅行関連業界などは気の毒なほど翻弄されている。医療も破綻寸前である。これはもう人災の様相を呈しており、さすがにお上に甘い我が同胞の忍耐にも限界があるらしく、政権支持率は急落している。一方、感染拡大に苦しむ欧米各国に於いては、必ずしも支持率は落ちてはいない。政府の対策を評価しているからに他ならないが、メルケルの演説は象徴的である。

 

 政府のコロナ対策は、楽観的な見通しに基づき真珠湾に突入した先の大戦に酷似している。この粗雑さは各戦闘に共通しており、有名なインパール作戦に於いても甘い見通しが大勢の兵士を犬死させている。病気と飢餓による死者が、戦闘による死者をはるかに上回るという史上稀な悲劇を引き起こしてしまったが、残念ながらこのDNAは脈々と引き継がれて、今日に至っているようだ。

 

 令和2年は、12月25日の前首相による政治資金規正法違反疑惑に関する釈明によって、総括される。「秘書に任せており、私は知らなかった。」とは、未だに政治の世界にだけは「親分に代わって子分が臭い飯を食う」しきたりが生き残っているのが良く分かる。また、千歩譲ってこの釈明を信じるとしても、自身の秘書すら管理できない人間が、8年に渡り国政のトップに就いていたと云う恐ろしいことになる。国民も随分甘くみられたものだ。

 

 コロナ禍は未だ暫く続くだろうが、コロナが見せてくれたものを奇貨として日本株式会社の株主はモノ言う株主にならなければならない。それは権利でもあり、同時に次代に対する責務だろう。幸い来たる年は選挙の年でもある。

 

                            2020年12月25日

 

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