工房閑話
COVID 19 収束へのみち 2
戦国時代末期にヨーロッパ強国の脅威に対抗すべく、時の為政者はキリシタン禁止令を出し、ついに1633年に鎖国に踏み切った。当時キリスト教はスペイン、ポルトガルの植民地政策の先遣部隊としての役割を果たしていた。イエズス会の宗教心に篤く有能な宣教師は、瞬く間に日本人の心を捉え、信者の数は実に国民の一割に達したと云われている。1637年に勃発した島原の乱は、4万弱のキリシタンが島原半島の原城址に籠り、これを討伐するために徳川幕府は12万もの軍勢を投入している。関ケ原で家康が率いた兵の数が7万余であることを考え合わせると、キリシタンに対して幕府が抱いた危機感の大きさを、推し量ることができる。幸い当時の日本の軍事力はヨーロッパと比べても遜色がなく、他のアジア諸国のように武力で征服されることはなかった。ところが、2百余年後の第二波では事情が違った。この貴重な時間を生かすことができなかったため、彼我の力の差は大きく開き、欧米列強の植民地と化すことこそ免れたものの、開国後は列強と対峙するために無理に無理を重ね、先の大戦に至る道を歩むことになる。
緊急事態発令後、我が国は、感染者数・死者数ともに低い数字で凌いできている。しかし自粛により得た成果は、自粛解除とともに失われないだろうか。感染速度を抑えている間に、収束への有効な対策を講じて初めて自粛の意味がある。ところが依然として課題は残ったままで、未だにPCR検査を絞っている保健所があり、実施件数は先進国で最低レベルに留まっている。感染者の特定ができない限り、院内感染防止すら至難の業だろう。医療体制も改善されていない。補正予算の額も小さく、対策は医療現場に丸投げ状態である。使命感から頑張っている病院ほど疲弊しているように見える。医療対策が最大の経済対策であるはずなのだが・・・。台湾、韓国でできて、日本でできないのは何故だろうか。杞憂に終わることを願うが、第二波に見舞われた時に、その差が大きく出ることを恐れてしまう。
かのアベノマスクはエイプリルフールのジョークとして世界中に笑いを届けた。続編は「未だにごく一部しかマスクは届いていない」というブラックユーモアである。一昨日、マスクを受け取った群馬のお年寄りが、NHKニュースで紹介されていた。「本当に有難いことです。」と感謝している様子が印象的だったが、このマスクでウイルスを防げると勘違いしていたら、お気の毒である。異様なサイズが揶揄されているが、それ以前の深刻な問題である。今からでも遅くない。計画を中止し、節約できた税金を医療対策に回せば、多少とも現場への支援になるだろう。無理筋を強引に通し、自らを省みないのがDNAのようにも見える現政権には難しいかも知れないが、この英断があれば国民の信頼回復にもつながると思う。
WHOの顧問を務めるキングス・カレッジ・ロンドンの渋谷教授が、過日テレビ出演した際に、「コロナ対策に於いて最も重要なことは?」と問われ、「政府のコミットメント」と答えて、日本政府の対応に警鐘をならしていた。残念ながら一連の政府のコロナ対応に「コミットメント」は見えない。さすがに鷹揚な同胞の寛容にも限界があり、内閣支持率が急落している。この非常事態にあって、政治に信頼を置けないことは誠に不幸としか言いようがないが、しかし結局その責任は、有権者としての自分たちに返ってくることを、心に刻まなければならない。
2020年5月26日