工房閑話

 

 

平成最後の年の瀬に

 

 平成最後の年の瀬に、今年の漢字「災」が発表された。このところ無理筋法案が、さしたる吟味のないまま強行採決で次々に通過・成立しているが、これも反映しているのだろうか。

 入管法改正も多くの課題を含んでいる。人手不足を外国人労働者で補うという意図だけが先行しているが、外国人労働者に門戸を広く開くということは、日本の移民政策の大転換であり、グローバル化の洗礼と云う側面を持っている。重要なキーワードは「分かり易さ」だろう。例えば、住所表示一つをとっても我が国のそれは極めて分かりにくい。その情報で目的地に到達するのは、日本人といえどもそう簡単ではない。一方アメリカの住所は、通りの名前と番地(数字)で表示され、外国人でも簡単に辿り着ける。もう一つ例を挙げると、現行入管法に技能実習生という制度がある。技能実習生と唄っているが、実態は低賃金労働者である(果たして、研修プログラムに基づいて教育している受入れ先が、一か所でも存在するのだろうか??)。この建前と本音の違いは日本人にしか通用しないだろう。極めて分かりにくい。ボタンの掛け違いを生み、ここから多くの問題が発生していることは、周知のとおりである。問題は仕組ではなく、その底流となっている文化の違いにあるのだろう。

 

 加えて、新入管法で受け入れようとしている単純労働従事者は、移民先進国であるアメリカでさえ受け入れていない。日本人労働者への影響のみならず、想定外の困難な課題も発生するだろう。メリット、ディメリットを秤にかけると、果たして得策なのだろうか。どうしても法案の意図が短絡的に過ぎるという印象が拭い去れない。あまりの拙速さに財界からも不安の声が洩れると云うおまけまで付いている。

 

 異文化との遭遇も、「満員電車よろしく、暫く走っているうちに落ち着いてくる」と云う発想が透けて見える。それ自体、日本文化の可愛らしさかも知れないが、いささか乱暴に過ぎる。我々も、まずは「イエス・ノー」を明確にする必要があるのだろう。昭和生まれとしては、アナログ文化に捨て難い心地良さも感じているのだが・・・。

 

                            2018年12月22日


 

 

           

 

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