工房閑話

 

 

確定申告

   

 米国駐在時に筆者は初めて確定申告なるものに遭遇したが、アメリカ人がこの面倒な手続きに真剣に取り組んでいることに驚いた。我々は、会社が手配してくれた会計事務所の日本語の質問書に記入しさえすれば、あとはその事務所が代行してくれるのだが、源泉徴収に慣れ親しんだ身にとっては、誠に有り難くない年中行事だった。ところが、職場には、「こんな楽しいことを他人には任せられない。」と云って会計事務所の世話にならず自身で進める者やら、さらには究極の還付追求に執念を燃やし過ぎて、IRS(税務当局)に召喚される剛の者までいた。どういう巡り合わせか、最も無関心だった筆者が、仕事とは言え今や他人のTax Returnを検証している。

 

 我が国が借金大国と云われて久しいが、国民一人当たりの借金は800万円に達しているらしい。にもかかわらず豊洲、豊中の例を挙げるまでもなく、緊張感を欠いた税金の扱いが日常化しており、そこに節税のベクトルは見えてこない。「血税」という言葉は死語と化しており、多少歳入が改善しても、「入るを量りて出ずるを為す」という当たり前の理屈が働かない限り1千万円を通過する日も遠くないだろう。やがて「公共サービスのカット」というような形で顕在化してくるのだろうか・・・。

 

 トランプ政権の肩を持つつもりはないし、それを浪費とは思わないが、「自分達の税金が(納税していない)不法移民の福利厚生のために使われるのは、納得できない。」と云う疲弊してきた米国の中間層の声には一理ある。日本の給与所得者は源泉徴収の恩恵により、税務申告の煩わしさから解放されているものの、引換えに小さくないものを失っている。そして税に対する無関心、さらに根拠の無い寛容を生んでいる。税務申告との格闘は、税の重みに向かい合う得難い機会である。また、“ Nothing is certain but death and taxes. ” を噛みしめる時季でもある。

 

                              2017年2月25日

           

 

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