工房閑話

 

 

バーニャス

 

 イスラエルの北部にバーニャスという街がある。レバノン・シリアの国境の高峰ヘルモン山の麓にあるこの町は、その湧水のおかげで緑にも恵まれ、荒地が大半を占めるイスラエルの中にあって、趣を異にする一画を形成している。イエスはこの一帯でも活動しており、聖書ゆかりの地域でもある。街の名の起源は、アレキサンダーの支配と共にやってきたギリシア文明の影響で、この地に「パンの神」を祭ったことにより、パーニャス(Paneas)と名付けられたことにある。そして時代が下り、イスラムの支配下でバーニャス(Banias)となった。アラブ語には[P]の音が無いらしい。

 

 牧神として知られる「パンの神」は、混乱をもたらす神でもあり、パニックの語源にもなっている。周知のとおりイスラエルは、コロナ対策の優等生として感染を抑え込んでいた。ネタニヤフ首相自らファイザーのCEOと(本物の)交渉を重ね、早期に必要なワクチンを確保し、16才以上の市民の8割に接種を完了していた。ところが、このイスラエルに感染再発の兆候が顕れている。インド株が要因のようだが、このあまりの手際の良さが「パンの神」の悪戯心を刺激してしまったのかも知れない。

 

 およそ1年前、極東の島国ではリーダーが「ロックダウンという厳しい手段を取ることなく、世界に誇るクラスター対策と国民の自粛でコロナを収束させた。」と胸を張った。しかしその後感染は再拡大し、市民は政府の相次ぐ出たとこ勝負の対策に振り回されることになるが、健気に感染対策に取り組んできた。そして今、感染は数度目の拡大に向かっている。また、長きに渡る自粛にも疲弊し、従順で知られた彼等のなかにも、お上にたてつく者が出始めている。にもかかわらず指導者は、世論に耳を貸さず「人類がウイルスに打ち勝った証しとして東京五輪を開催する。」と云う辻褄の合わない主張を続けている。おまけに御用学者がこれを諫めるという椿事まで出来して、国民の不安は募る一方である。

 

 先の大戦の本土決戦・一億玉砕が脳裏をよぎる。この状況に、第二次大戦後、憲法に誠実に向き合い、政治に厳しく距離を置いてきた天皇家であるが、東京五輪名誉総裁でもある令和天皇が憂慮を示す異例の事態に至っている。この痛ましい状況に、「パンの神」も驚いている。


 

                            2021年6月26日

 

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